Wednesday, October 21, 2009

LaTexテスト

\[
x^2 - 2y^2 = \pm 1
\]
見える見えない?

Tuesday, July 14, 2009

罰金

先月 ケイタイの通話制限を越えたから、何百円も請求された

composition いっぱいつかった

cubes = takeWhile (<10^13) . dropWhile (<10^9) $ map (^3) [1..]
l = filter ((5==).length) . groupBy (\(x,_) (y,_)->x==y) .
   sort . map (\x->((sort . show) x, x)) $ cubes
ans = head . sort . map snd . concat $ l


PETSc + TAO が強い

Sunday, July 12, 2009

カン

近所のスーパーには自動リサイクル機があるのを気付いた
高校時代の友達と一緒に行って、コイン返却口がないのも気付いた
気になったから、プラスチック缶を探すために周りをくまなく探した
最初はどこにも見られなかったが
 やっと大きいゴミ箱で一本を探した
ゴミを見ただけでそんなに楽しくなれること、知らなかった
やってみて、レシートが出て、それで店員にお金を要求するというわけだ


project euler 197, 204 を 解けた
197は無限リストを使った

u :: [Double]
u = -1 : (map f u)

f :: Double -> Double
f x = 1E-9 * m
   where b = 30.403243784 - x^2
       m = fromIntegral $ floor (2 ** b)

Tuesday, June 30, 2009

/_\

夏休みに家でゆったり過ごしてるのに
頭痛の一日だった

Tuesday, June 9, 2009

作文

済まない、君を誤解した

永遠な仲間 ワン・ジャックソン に捧ぐ

 人生には不如意なことがあるが、それこそが人生だ。一生懸命頑張ったのに、なお上手くできないこともあるし、他人の成功を羨んで自分に不満するし、どうにかして「なぜ神様は私に不幸を与えるだろうか」と思ってしまう。そうすると意気消沈したり、人生への夢を諦めたりしてしまう。ただし、自分のことであるからこそ、責めをほとんど他人に負わせるわけにはいかないだろう。自分だけではなく、異なる問題でも、みんな同じ課題に直面している。挫折に遭ったいま、頽廃するか、それとも逆境に対して何かをするか自分次第だ。
 
 挫折は必ずしも悪いことだ。挫折がなかったら、まるで自分ができた人で改善する必要のあるところもないように、向上心もなくしてしまう。「失敗から学ぶ」ということわざを多分知っているが、よほど不如意なことを失敗のように扱わないと適用できないと思ってしまう。挫折はまるで転げ落ちるようだ。落ちるともちろん立ち上がらなければならない。しかし、それだけすれば、本当に骨折り損のくたびれもうけだ。いたずらに傷つき、学ぶ機会も無駄にしてしまう。転げ落ちたら、なぜ落ちた原因を探さないだろうか。できるだけどこが間違っていたのをのかを調べる。もちろん、自分が問題があるわけがないけれど、常に学べるものがあるだろう。例えば、自分の何かに不満しているとき、他人の意見を求めば、それがそんなに悪くないと教えてくれるかもしれないし、自分が見過ごす長所も教えてくれるんじゃないか。そうすると、気持ちがよくなるし、自信も帰ってくるし、自分を再び認識する。
 自分の問題に取り付かれている際、他の人も対称的に何かに直面しているのを忘れてしまう。他人の長所を羨むとき、他人も同時に自分の何かを羨んでいるだろう。自分が持っている長所に慣れたので、あまり気付かないけれど、他の人に取って達成できない特徴なのかもしれない。人はそういう風に他人の長所を大げさに見て、自分のを無視してしまい、逆に自分の短所を無視して、他人のを大げさに見てしまう。自分自身を向上させるためにはそもそもよいことなのにもかかわらず、自分の存在価値がないと思ってしまうことになる。とにかく、挫折に対して肯定的な態度を取らなければならない。また、自分だけがいわゆる「不幸」を与えられるという考えを持ってはいけない。
 何をしてもしなくても時間が過ぎるんだ。ある人は時間を解毒剤として使う。確かにそれぞれの事情や心の傷などは流れ時間とともに治してくるけれど、ある事情は逆に悪化するし、手がつけられないほどになってしまう。水野敬也の「夢をかなえるゾウ」と言う本によると、誰にでも一日二十四時間を与えられているが、其れの使い方によって人生に影響する。この二十四時間は深い自責の念に苦しみ、他人を責め、神様に文句を言うためなのか?もちろんそうではない。こういう二十四時間はまさに挫折から生まれた課題を発見するために、大地を踏みしめてやり直すために、生活の速いリズムに追いつくために与えられたんだ。そうしないであくまで悲しんだら、利益のみならずもっと大きいストレスに苦しむようになってしまう。
 仲間のない方の人生の旅路より仲間のある方の旅路の方が楽だ。なぜなら、人生を悲観している際、もし誰かが「自分も色々な原因で困ってる」と教えてくれれば、自分は独りではないのに気が付く。友達とは互いに励ましあうしたり、サポートしたりして、人生は楽になる。もし何だかんだで悩んでいたら、絶対に思いを伝えず心に抑え込んではいけない。憂慮を抑え込んだら、時間が長ければ長いほど、事情が悪くなり、悲観から逃げにくくなってしまう。こういうときは気持ちを友達に伝えたら、状況がよくなってストレスも軽減される。仲間と共に歩けば、旅路はなとかスムーズになる。
 
 人生の不如意に対しては、工夫できる点が色々あるけれど、限界を越えている場合もある。例えば、仲間の質と言うことこそがすべて自分の手につけられるわけがないだろうか。確か自分が友達を選択できるが、いい友達がいるのかいないのか、ほとんど運だろう。大体結構いい友達をできるけれど、足りるかどうか分からない。どんな個性がよいか、状況によって違っている。あるとき、ただの抱擁をしてあげて笑わせたらいいけれど、またあるときは人の心の奥底に行って悩みを解き放させてあげないといけない。これが友人として一番難しい課題である。人の必要に応じて自分の快適帯から出なければいけないかもしれない。
 ある人は朗らかで陽気なので、いつも他人を笑わせられる。殆どの人にとって、こんな友達がいれば十分だ。でも、別の場合でこんな友達は「数秒間の笑い」しか与えられない。なぜなら、不安感がそんなに強いから、笑いの力は一瞬の効果しかなくて、すぐ無くしてしまう。こんな人にとって、不真面目な冗談をやってあげても役を立てない。好意からの行為だと分かるが、状況が全然改善していないので、どうしようもなく思って「アホなことしか言わないバカな友達だけいるのか」と思ってしまう。この場合だったら、是非勇気を集めて、真剣に会話をしてあげなければならない。
 多くの人が必要となるとき快く他人を助けるんだ。誰かが助けに来たら、是非手伝うけれど、もし聞かなければ、何の行動も起こさない。人を思いやるのに、積極的に思いやるほどではない、というわけだ。皮肉にも、多くの人は率先して助けに来ない。なぜなら、自分の問題を他人に教えることは大きな勇気が必要だ。社会にはこの原因で多くの人が鬱病を患うだろう。もしかして、皆が人々に思いやりをもっと持って接したり、自発に人々を見舞いに行ったりすれば、鬱病を患っている人の人数は何とか減るだろう。懸念の持つ人はもっと早く発見し、自分が救けにきたくない人にも役を立つし、この取り組みにおいて「地球上にはまだいい人がおる」と思わせて、何とか慰安になる。この点で人の友達として一番難しい使命を担われさせる。なぜ難しいと聞くなら、人は大体自分勝手なので自分の事柄を優先にするべきだ。他人を慰安するのを先取りするのは自分の事柄を延期しないと無理だ。

 今時の社会人は殆どの責任を「関係者」に帰してしまう。この課題をしなければならないとか、こちは工夫をしなければならないとか、とにかく自分と全然関係ないと考えるふしがある。自分が社会の一部分としていいサポーターにならなければならないという責任を全然無視してしないんだ。だからこそ今時の社会はまだいろいろな悲劇が起こしている。こういう問題は見た目に個人の事柄なので自分で頑張って解決することであるが、むしろ友達の方から工夫しなければ問題は消滅しない。皆、身勝手さを落とすように、世界に一層の注意を傾けるように頑張ろう。